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タイトル画像等提供:池内陽介氏

横路 敬二 (よこみち けいじ)





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2007年10月09日 水野さんの「中国ビジネスコンサルタントができるまで」を読んで

上海エクスプロアのブログでも活躍している水野さんが、ご自身の中国ビジネス体験を綴った書籍が今年出版された。

この書には、私と共有する思い出がたくさん詰まっている。
また、中国ビジネスの本質とは何かを、おもしろおかしく読んでいるうちに理解できる良書である。
そこで少し、この場を借りてこの書「中国ビジネスコンサルタントができるまで」(以下、本書と略)の感想を書かせていただく。


水野さんが福州に到着した1989年7月、天安門事件が発生した翌月。
この7月は、ちょうど私が初めて上海で生活を始めた時期でもある。
その様子はこのブログの出だしでも書いているが、日本企業が引き上げている時で、
私の乗った上海便には20人ほどの乗客しかいなかった。


長く中国に携わっている人間にとって、中国の急速な経済発展が始まる以前の
80年代から90年代初めは、まだ生活も不便で、あらゆることが驚きの連続だった。

もちろん当時はインターネットはないし、電子メールもない。
テレビの衛星放送も普及していない。国際電話も高くて、簡単には利用できない。
入ってくる情報が限られていて、業務ではまだテレックスを使用していた時代……
上海も本格的な経済成長が始まったのは1992年からであろう。

そんなことから、1989年から1990年にかけての水野さんの奮闘ぶりは、
私の体験と一致する点がじつに多い。
そのときは辛く不便だった生活が、今思い起こすと妙に懐かしくて楽しい時期だった。
この点も水野さんと共通の認識である。


上海で生活する以前にも、私は北京と台湾に視察旅行で行った。
じつは1887年に、私は台湾に留学する予定で台北の師範大学に留学の願書を
取りにいったことがある。
水野さんはその師範大学で中国語の語学留学をしたが、私は結局、台湾ではなく、
直接上海へ向かうことになった。

当時の日本企業の間では、中国大陸でいきなり研修させるのは、生活の不便や
習慣の違いから、かなり無理があると考えられていた。
そのため、まず台湾で語学研修をしてから大陸に仕事で赴任するというのが
一般的だったのである。

水野さんは福州の温泉大厦で生活し仕事をした。そこがオフィス兼住居だという。
私は、上海外国語大学の寮で2ヵ月生活した後、逸仙路の宝隆賓館に引越し、
そこで1年ほど生活をした。そこもオフィス兼住居であった。

昼まで語学の授業を受け、午後は駐在事務所の所長(首席代表)として、
業務を行っていた。(当時は、たいした仕事はなかったが……)

そのでの生活の最後のころ、私も水野さんと同じように少々情緒不安定になったのを
本書を読んでいて思い出した。
当時の宝隆賓館は、場所が市内から遠く外れている上に、部屋の内装がシンプルで、
刑務所の独房のようだった。
その後、市内の延安西路の達華賓館に生活の場を移し、精神的にはだいぶ楽になったが、
あの感覚は経験した人にしかわからないかもしれない。

本書では、水野さんがビジネスコンサルに至る経緯とともに、商社マンとして、
大企業の中で翻弄されるご自身の様子が赤裸々に書かれている。
中国という視点からだけではなく、大企業で働くとはどういうことかも
垣間見ることができるであろう。

「中国ビジネスコンサルタントができるまで」の概要



横路 敬二









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