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香港FA木津英隆のマネーは巡る

香港在住ファイナンシャルアドバイザーによるオフショア資産運用のススメ。海外で自分年金を作りましょう。

プロフィール


上海セミナー&個別面談会(4月3日)参加者受付中!

香港金融視察ツアー(3月・4月)参加者受付中!

木津 英隆(きつ ひでたか)
ライセンス番号:PIBA-0189-008030

謙信アセットコンサルティング(香港)代表取締役社長
個別相談申込フォーム

1974年3月9日長崎市生まれ、横浜市育ち。1996年青山学院大学法学部卒。ジャパン石油開発、ロイター通信(香港)、スタンダードアンドプアーズを経て、2008年3月より香港のIFA(独立系ファイナンシャルアドバイザー)に所属する資産運用コンサルタントとして勤務。所属IFAのGRANDTAG社はアジア各国に600名の資産運用コンサルタント、25,000名の顧客を擁する香港系大手IFAの一角。お客様のライフプランに沿って、元本確保を最優先とし、オフショア投資商品、個人年金プラン、貯蓄型生命保険、相続対策商品などをご提案。また、香港の優れた金融サービス、投資優遇税制、年代別資産運用方法などについて、初心者にも分かりやすい小口投資家向け「海外で作る自分年金セミナー」を各地で定期開催。香港・中国・日本で皆様に信頼して頂ける資産運用コンサルタントとなることを目指して積極活動中です!

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私の履歴書

2009年09月13日 私の履歴書(終)リストラからの復活
人生初めてのリストラを経験・・。でも逆に、それで良かったのかもしれません・・。
さて、私の履歴書シリーズも本日で最終回となります。何を書こうか、どこまで書こうか、迷いましたが、香港へ戻ってきてからの1年半で起こったこと、そこで私が感じたこと、人生初めてのリストラを経験したこと、それでも私が香港で働き続けると決めたこと、独立してから沢山の仲間ができたこと、FAとしての仕事の本当の意味など、とても1回のブログでは書き切れませんが、過去のことは今日で一つの区切りを付けて、これからは未来志向で歩いていきたいと思っています。どうぞ最後までお付き合いください。

2008年3月、香港の独立系FA会社に就職した私に与えられたミッションは主にIR(インべスターズ・リレーションズ)業務であった。前年、米国で発生したサブプライムローン問題が新興国市場にも影響を及ぼし、中国を始めとする新興国の株価が下落し始めていた。世間では多くのエコノミストが、サブプライムローン問題が米国経済に深刻な影響を及ぼす可能性について警鐘を鳴らす一方で、新興国の台頭で中長期的にエネルギーや穀物の価格が上昇するとのデカップリング論によって商品市場は値上がりが続いていた。私が所属するFA会社は日本で定期的に既存投資家向けの運用報告会を行なっており、私も通訳として同行していた。顧客の資産を預かるポートフォリオマネージャーは、2008年前半の株価下落を一時的なものとして捉えており、3月に米国政府がベアスターンズ証券を救済したことから、市場はやがて落ち着きを取り戻し、2008年後半は世界の株価は上昇に転じるという説明を繰り返していた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。2008年9月にリーマンショックが勃発し、新興国の株価は真っ逆さま状態となった。その後は、顧客からの苦情処理の対応に追われて、新規営業どころの話ではなくなってしまった。そうして数ヵ月後、私自身も会社側から雇用契約の解除を通告された。

世の中に投資のプロを名乗る人達は星の数ほどいるが、本当に投資で勝ち続けている人はごくわずかに過ぎない。
香港へ戻ってきてわずか1年後に大きな壁にぶち当たってしまったわけだが、幸いにも別の独立系FA会社が私を資産運用コンサルタントとして採用したいと声をかけてきた。渡りに橋の話ではあったが、昨年の金融危機の影響もあり、本当にこの業界で仕事を続けていくことが自分にとって正しい選択肢なのかどうか、大いに迷った。しかし、新しく所属先となるFA会社のシニア・ディレクターT女史と出会ったことで、迷いは吹っ切れた。彼女曰く、世の中に投資のプロを名乗る人達は星の数ほどいるが、本当に投資で勝ち続けている人はごくわずかに過ぎない。結局のところ、人間の感情というものが冷静な投資判断の邪魔をして、損失が損切り基準を超えているのに売却することができない、まだ値上がりする可能性がある投資対象を売り急いでしまう、ということが頻繁に発生する。だから、資産運用コンサルタントは、短期的なキャピタルゲイン目的の投資対象を推奨するべきではない。中長期的に成長することが確実な投資対象、景気の変動を受けにくい投資対象、あるいは優秀なコンピュータが損切り基準と売却基準を自動判断してくれるプログラム、そうした投資対象を中長期保有して、あとはクローズ・ザ・ブックすることである。そうすれば損失が出る可能性は低くなり、自分が目標とするリターンを中長期的に達成することが可能になる。

目から鱗が落ちる思いでT女史の話を聞き、彼女の下で資産運用コンサルタントとして再起することを誓った。その後の私は水を得た魚のように、各地の懇親会やセミナーに出席して、名刺を配りまくって顔を売った。また、T女史のアドバイスに従って、ブログの構成内容を見直し、誰にでも関心を引くようなコンテンツを作成した。それ以降、ブログの内容が格段に良くなった、自分には投資や保険は関係ないと思っていたが話を聞いてみたい、老後や人生計画について真剣に考えるようになった、というコメントを多くの方から頂けるようになった。私自身も最初のうちは必死に営業して回っていたが、いまは毎日ブログをきちんと更新するだけで、沢山の方から問い合わせや面談の依頼を頂けるようになった。

「香港FA木津英隆のマネーは巡る」は、ようやく最初の一巡りを終えたところです。まだまだ続きます!
朝寝坊しても優雅に朝マックを食べられたのは最初の頃だけの話で、いまはスーツケースを移動オフィス代わりにして、香港だけではなく、深セン・広州・上海など中国各地へ呼ばれればどこへでも飛んでいく。そして、私自身もいまの仕事が、皆様のライフプランやご家族を助けるために大いに役立つ、と自信を持っている。個別で面談した方からは感謝の言葉を頂けるし、投資や保険商品のお申込みをして頂いた後、本来なら私からお礼を申し上げるべきところだが、逆にお客様から「これで安心して本業の仕事に取り組めます。本当に有難うございます。」という言葉を頂けることが多くなった。

この道20年のベテラン資産運用コンサルタントからもアドバイスを頂き、金融商品の営業活動をするときに、自分や会社の利益ではなく、お客様にとって良い人生を一番最初に考えるようにしている。そうすると、自ずと結果は後から付いてくる。和僑会のセミナーでお会いした人材開発コンサルタントによると、お客様に対して完璧なプレゼンテーションをすると、逆に相手が不安に思ってしまうので、少し説明に穴があるぐらいが丁度良い、のだそうだ。確かにそれも一理あるし、話の内容によってはお客様の方が詳しかったりして、お客様から教えを乞うこともしばしばある。だから、私自身も完璧な資産運用コンサルタントを目指すつもりはない。私がいつも気を付けているのは、お客様に対して誠実で丁寧な対応をする、ただそれだけである。そうしてお客様と共有できた時間が、私という人間を成長させていってくれるのだと思う。だからこれからも、愚直で、実直で、率直な人間であり続けたいと思う。「香港FA木津英隆のマネーは巡る」は、ようやく最初の一巡りを終えたばかりだ。まだまだこれからも沢山の素敵な人達と巡り合いたい!

(終わり)

今日が新たなスタート地点となります。宜しければ、ブログに合格点を!

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2009年09月12日 私の履歴書(13)そして再び香港へ
大きなスーツケースを抱えて成田空港に到着した私の行き先は・・・
長らくご愛読頂きました私の履歴書シリーズは次号で最終回となります。このシリーズは、お陰様で多くの方からご反響を頂きました。私の仕事は、皆様の大切なお金をお預かりする仕事ですので、私という人間を知って頂くことで、私自信が信頼に足りる人間かどうかをご判断頂ければと思います。これからも皆様からのコメント、ご意見をお待ちしております。

2008年3月、ノースウエスト航空の香港行き往復航空券と、荷物がぎっしり詰まった大きなスーツケースを抱えて、成田空港に到着した私の心は浮足だっていた。航空券は一応、帰りの便の予約も入れていたが、帰りのチケットを使うつもりはなかった。香港の独立系FA会社への転職が決まり、私は再び香港で働き始めることになった。2003年末に香港を去ってから、既に4年の月日が流れていた。その間、香港駐在の仕事を探し続けて紆余曲折もあったが、結局、香港で現地採用の仕事につくことに決めた。現地採用は駐在期間が決まっていないので、自分でいたいだけ香港にいることができるし、ある程度、仕事で実績を積んだ後は、会社を独立することも可能だ。香港での法人設立は、コンビニで携帯電話の支払いをするのと同じぐらい容易い話だ。

この時点では、まだ独立することなど夢にも思っていなかったが・・・。

最終回、ご期待ください。宜しければ、ブログに合格点を!

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2009年09月04日 私の履歴書(12)世界一税金が高い国
所得税や法人税が高すぎると、働く意欲が薄れます・・。
昨夜は珠海で友人と食事をした後、国境を越えてマカオへ来ています。カジノブームで沸いたマカオですが、一歩路地裏に入ると坂道が多い街で、そこで人々がのんびりと暮していて、ほのぼのとした気持ちにさせられます。今日は午後から打ち合わせがありますが、その前に久しぶりにマカオの街を散策してみたいと思います。さて、週末となりましたので、私の履歴書シリーズを再開します。

米系大手格付け会社スタンダード・アンド・プアーズに勤務していた頃、業界最大手の運営管理機関と約30種類の投資信託格付けの一括契約に成功し、過去最高の年棒を獲得することに成功した。しかし、喜びも束の間だった。翌年、役所から届いた納税通知書の納税額を見て驚いた。日本では年収1000万円を超えると急に税金が高くなると聞いていたが、それにしてもゼロの桁が一つ多いのではないかと疑うほどの高額な税金を請求された。石油会社に新入社員として勤務していた頃は、給料が安かったこともあり、納税額はそれほど気にならなかったが、自分が努力して培ったキャリアで給料を稼いでも、これほど高額な税金を請求されてしまっては、自分で使えるお金は新入社員時代とほとんど変わらなくなってしまった。

日本にいてはダメだ・・。心の中でそう確信し、また、香港に対する郷愁の思いも強まっていたので、香港へ駐在可能な仕事を探し始めた。香港へ行けば、所得税・法人税ともに最高で17%までしか課税されない。

香港の投資移民制度を活用して、香港で650万香港ドル(約8,000万円)以上の金融資産か不動産を保有すれば、合法的に香港の居民権を得ることができる。日本で高い税金を払っている経営者や個人事業主の方にとって、この制度を活用するメリットは大きいと言える。私はそこまでの資産は持っていなかったので、香港駐在の仕事を探したが、これも難航した・・。日系企業は、駐在コストが高い香港の駐在員を減らして、中国の華南地区や上海へ駐在員をシフトし始めていた。この場合は、北京語が話せなければ、駐在員になれる可能性は低い。仕事を1年間休んで中国へ語学留学しようかとも考えたが、仕事を休むことでキャリアに空白ができるリスクも大きい。そうなると、香港で現地採用の仕事を探すしかないが、香港にある日系企業の現地採用者の給料は驚くほど安い。仕事内容も重要なポストは日本からの駐在員が占めており、現地採用で重要な仕事を任される可能性は低い。そうなるとやはり外資系企業の求人を探すしかない。

1999年に初めて香港へ行った時は、ロイター時代の上司、立花氏との劇的な出会いがあったが、今回もそのような機会はないものだろうか。「香港よ、もう一度、私にチャンスをくれ!」心の中でそう願った・・・。

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2009年08月30日 私の履歴書(11)格付け会社へ転職
NY出張のクルーズディナーで、S&P本社社長と同じテーブルになる!
2003年末、日本への帰国を決めた私は、心の洗濯のため、2カ月間の長期休暇を取った。インドネシアのバリ島でのんびりと過ごし、心も体もリフレッシュすることができた。その後、日本へ帰国し、ロイタージャパンへ転勤のお誘いも頂いていたが、新しい分野の仕事にチャレンジしたかったので、米系格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)への入社を決める。S&Pは、銀行や事業会社に対する信用格付け、保険会社に対する保険金支払い能力格付け、証券化商品に対する格付けなどをグローバル市場基準で評価することで有名な会社だが、私が営業担当したのは、当時はまだ新しい事業分野であった投資信託格付けと株価指数サービスであった。

投資信託の格付けは、ベンチマークと呼ばれる株価指数を上回るリターンを出しているかどうか、ファンドマネージャーの投資戦略、アナリストによる調査体制など、定量的なデータと定性的な評価によって総合的に判断される。日本で確定拠出年金制度(日本版401k)が開始されたことにより、401kが導入された企業の従業員は、自分で投資信託を選択し、運用結果に対して自分自身で責任を持たなければならなくなった。しかし、ゲートキーパーと呼ばれる401kの運営管理機関も、提供する投資信託のクオリティには責任を問われることになる。そこでS&Pが提供する投資信託格付けが脚光を浴びることになった。業界最大手の運営管理機関と、約30種類の投資信託格付けの契約に成功し、ここでも私は過去最高の年棒を獲得することに成功した。しかし、喜びも束の間だった・・。これについては次号のブログでお話する。

2009年6月10日ブログ「格付けは無意味か」でも書いたが、格付けアナリストは広範な業界知識と高い倫理観が求められる仕事である。格付け会社が出す格付けが本当に信頼できるものかどうか、それは市場の透明性によって支えられている。インサイダー取引や不正会計操作が横行する市場では、格付けは機能しなくなる。また、昨年の金融危機で、多くの証券化商品の格付けが短期間の間に最高格付けAAAからデフォルト(債務不履行)まで陥落したが、複雑化した市場に格付けの機能が追い付いていないという問題もあると思う。

いずれにしても、S&P勤務時代に出会った多くのアナリスト達との対話を通して、私自身も広範な金融知識と、市場に対する倫理観を学ぶことができた。私のキャリアの基礎は、営業と顧客サポートの基本をロイターで学び、金融知識と倫理観をS&Pで学んだことで、支えられていると言っても過言ではない。サラリーマン人生から卒業した今、これからは生涯、独立した資産運用コンサルタントとして、この2社で学んだ経験を糧にして、正義感と倫理観を持って、お客様にとって本当に必要な資産運用サービスを提案するために邁進していきたい!

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2009年08月29日 私の履歴書(10)香港を去る決断
大好きだった香港を去らねばならなくなった決断とは?
深センから広州へ移動する特急列車の中でこのブログを書いています。週末は中国在住の日本人の方と面談する機会が増えてきました。年中無休、24時間体制で頑張っておりますが、まだまだ仕事が足りません・・。今日は仕事の話は一休みして、私自身について語ります。香港へ来て4年が過ぎた頃、ロイター香港のトップセールスマンとして順風満帆に見えた香港生活に、大きな困難が迫っていました・・

2003年に入っても、日系金融機関の不良債権問題はいまだ解決しておらず、合併による合理化、組織再編を伴うリストラ、大幅なコスト削減策と、グローバル市場での生き残りをかけて次々と対策が打ちだされていた。金融機関の勝ち組と負け組の差がはっきりと現れ、ロイター社内でも勝ち組の金融機関を担当することが一種のステータスになっていた。私は日系担当だったので、勝ち組と負け組を選ぶ選択肢はなく、香港に進出している日系金融機関と命運を共にしなければならなかった。しかし、市場では日系金融の半数以上が外資に買収されると、まことしやかに囁かれていた時期でもある。

突然、大手銀行の担当者より呼び出しを受けて訪問すると、このような話を切り出された。「御社のライバル会社のT社より、ロイター端末の半値で、情報端末のオファーを受けた。ついては、いま契約しているロイター端末の契約を全て解除したい・・」

まさに寝耳の水の話だ。この大手銀行は昨年の合併プロジェクトで、情報端末を全て入れ替えたばかり。それをわずか半年で解約を申し出てくるとは・・。ライバル会社のT社も、商売を取るためなら手段を選ばない策に出てきた。情報の安売りは、業界全体の利益にならないことを分かっていないのか!

結局、この話はロイター香港の社長も巻き込んで、期間限定の特別割引価格をロイターが提示することで丸く収まった。その後、ライバル会社のT社は経営困難に陥り、ロイターへ身売りすることになったのだが・・。とにかく私はこの一件で、ほとほと疲れ果ててしまった。

その後に香港を襲ってきたのが、SARS(重症急性呼吸器症候群)だ。市民全員がマスク着用を義務付けられ、街中が暗い雰囲気となり、新規のビジネスの話ができるような雰囲気ではなくなってしまった。私は大好きだった香港という街に絶望してしまった。心の中で5年間一度も思わなかった言葉が聞こえてきた。

「日本へ帰ろうか・・」

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2009年08月22日 私の履歴書(9)ロイターのトップセールスマンになる!
ロイター香港で売上1位となり、仕事が絶好調だった時期。
香港へ来て良い仲間ができ、顧客企業の信頼も得て仕事は順調、日本人カスタマーサポート担当のG女史がロイタージャパンから香港へ転勤してくれたおかげで、私の仕事量にも余裕ができて、休暇をもらっては海外へダイビングや旅行に出掛けていた。最初は苦手だった営業も、まずは自分自身を売り込む、商品ではなくサービス内容をアピールする、どんな細かい要望にも誠意をもって対応する、といったことを繰り返しているうちに、自然と新しい仕事の依頼が入って来るようになった。気が付いたら、私はロイター香港の営業部で売上1位のトップセールスマンになっていた!年収はコミッション込みで1000万円を超え、大学を卒業したときに漠然と抱いていた30歳までに1000万円プレーヤーになるという目標をいとも簡単に達成してしまった。しかし、私はコミッション目当てで仕事をしたことは一度もない。目の前にあるお客様からの要望を、一つ一つ丁寧に、チーム内の意思疎通を明確にして、進捗状況を確認しながら、仕事を進めてきただけの話である。そうすると自然と結果は後から付いてきた。

休暇でダイビング旅行へ出かけて、船の上から投げ飛ばされる!?
いまもこの仕事スタイルに変わりはない。お客様に金融商品を販売するときに、自分がもらえるコミッションの金額を事前に計算したことは一度もない。一番大切なのは、自分が提案する金融商品が、お客様の人生にマッチするかどうかである。だから、個別面談のときはいつもその人の人生の目標とか、夢とか、そういう話を最初に聞かせて頂くようにしている。金融商品の手数料体系のみの説明を求める方がいるが、残念ながらそういう方とは面談しても、あまり実りのある話をすることができない。8月6日のブログ「積立投資の手数料を1555万円安くする方法」でもご説明させて頂いたとおり、私達FAが金融機関に支払う必要がないと判断した手数料については、払わなくても良い方法をアドバイスさせて頂いている。だが、お客様の夢や目標を達成するためには、保険や投資という仕組みを利用することに対して手数料が発生する。その手数料分を差し引いたうえで必要となる積立額やリターン目標についてアドバイスさせて頂くようにしている。

女の子にモテテ、一番調子に乗っていた20代後半の頃・・
話がそれたが、香港で働いていて素晴らしいことの一つは税金が安いということである。日本で年収が1000万円以上あると、半分近くは税金で徴収されてしまうが、香港の所得税の最高税率は17%しかないので、稼いだお金はほとんど自分自身のために使うことができる。本当は20代のときに香港で稼いだお金を自分自身の将来や事業のために投資していたら、30代の今になってこんなに苦労していなかったと思うが、若かった私は、仕事で稼いだお金を海外旅行や女の子とデートするために浪費してしまっていた。女性と食事するときは、グランドハイアットホテルの高級イタリア料理店で、高価な花束と高価なワインをオーダーしていたのもこの頃の話である。人は身の丈を超える給料をもらうと、あぶく銭のように使い果たしてしまうものである。若気の至りとは、まさにこのことだ。

この頃の経験が、今の資産運用アドバイザーとしてのコンサルティング業務に非常に役立っていると思う。人は、ポケットに入っているお金がすぐに使えるお金だと分かると、身の丈を超えてしまって、あっという間にお金を使い果たしてしまう。しかし、ポケットに入っているお金の一部が自動的に貯蓄される仕組みになっていたら、人は残されたお金の中から身の丈に合った生活をしようと心掛ける。だから、金融機関に手数料を払ってでも、保険や投資の仕組みを利用して、将来に対する備えを今から始めることが大切なのである。

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2009年08月21日 私の履歴書(8)ドラゴンボートとの出会い
このチームには関西人が多い・・。
しばらくお休みしていた私の履歴書シリーズを再開します。ようやく週末となりましたので、リラックスしてお読みください。

1999年に香港へやってきた私は、いまでは信じられないぐらい内向的な性格で、人付き合いが苦手だった。また、当初は日本人の友人も少なく、ホームシックにかかり、香港へ来たことをなかば後悔し始めていた。そんなときに出会ったスポーツがドラゴンボートである。左の写真のボートは練習用の小さなボートだが、本番で漕ぐボートの漕ぎ手は左右10名づつ、太鼓と舵とりを合わせて22名で1チームとなる。このクラブにはやたら関西人が多かった。練習中もそこら中でボケとツッコミをやっている。こちらも何か言われたら、何か返さないと、アホ~とか、ショーもないな~とか言われる。だんだんツッコミの返し方が分かってきて、関西弁は営業テクニックにも役立つことが分かった。本当にコテコテの関西人は、英語も関西弁である。

香港恋しさで、日本から出戻る人達が沢山います。
そんな楽しい仲間達ができて、香港生活もいよいよ楽しくなってきた。ドラゴンボートを通して知り合った仲間は、いまでも10年来の親友が多く、日本へ帰任した人達も、香港恋しさで、転職して出戻ったり、休暇のたびに香港へ遊びに来る人達が沢山いる。かくいう私も、東京へ帰任している間、半年に1度ぐらいの割合で香港へ出戻っていた。そして1年半前に転職して、本格的に香港へ出戻ったわけである。東京にいたときの閉塞感と比べると、香港での自由な暮しは何物にも代え難い楽しい毎日だ。そう思えるのも、信頼できるドラゴンボートの仲間達がいるからである。

大阪で開催された日本選手権へ香港から遠征
ドラゴンボートのメインイベントは、毎年6月の端午節にあるスタンレーフェスティバルだが、それ以外にも香港や海外の各地大会へ遠征を行なっている。左の写真は、大阪で開催されたドラゴンボート日本選手権へ香港日本人倶楽部として出場したときのものである。日本にも関東と関西を中心に多くのドラゴンボートチームがあるが、香港から帰任したメンバーが設立したチームが、いまでは日本国内で強豪チームになっている。東京龍舟というチームだが、日本選手権の混合の部で3連覇を果たし、今年はチェコで開催されるドラゴンボート世界選手権へ出場する予定で、香港チームからも何名か助っ人が参戦する予定だ。

2003年のスタンレー大会ではグランドファイナルまで進出!
近年は、香港在住の若手日本人のドラゴンボート離れにより、当チームも部員減少に悩んでいる。右の写真は、近年では最も最強メンバーが揃った2003年スタンレー大会後の写真で、外国人の部でグランドファイナル(決勝戦)まで勝ち進んだ。日焼けした屈強な男達が揃い、トロフィーになみなみと注がれた日本酒を皆で回し飲みしているのが右の写真である。人生には幾つもの荒波があるが、われわれドラゴンボート部員は普段から荒波を乗り越える練習をしているので、人生の多少の困難にはびくともしない。誰かが困っているときは、皆がタッグを組んで助けてくれるし、世界各国に散らばったドラゴンボート部のOBが、現地で宿と食事の提供をしてくれる。そんなわけで、私はいつも旅行先で誰かの家に転がり込んでいる。その逆に、我が家が占拠されることも良くあるが・・。

香港で本当の親友を作りたいなら、来たれ!わがチームへ!!

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2009年08月08日 私の履歴書(7)ベトナムへの旅
少数民族の村で土産物店の少女と記念撮影
香港へ来て1年が過ぎようとしていた頃、上司の立花氏の日本への帰任が決まった。この頃になると私は営業にも慣れて、部下の私が日常的な顧客サポート業務を取り仕切り、上司の立花氏が新規ビジネス開拓のため、日夜、奔走していた。ITビジネスブームもあり、世界経済と株価は堅調な時期だったが、日系金融機関はバブル後遺症の不良債権問題に苦しんでおり、香港から日系金融の撤退・縮小が続いている状況だった。会社側からすれば、金にならない日系ビジネスは、給料の安い現地採用の日本人担当者(=私)が1人いれば十分という判断だったと思う。

ロイターはとてもオープンな雰囲気の会社だ。担当する顧客企業へのサポート体制と営業計画については、営業担当者が一任で決めることができ、会社が営業に必要なリソースを提供してくれる。出張や休暇の計画も自分で決めることができる。会社から給料をもらいながら、社長業の勉強をさせて頂いているようなもので、私自身のキャリアの基礎もロイター勤務時代に築かれたと言っても過言ではない。そんなわけで私は、有給休暇の枠をフルに活用して、アジア各国を旅した。特に私が思い入れが深かった国がベトナムである。

私を物売りと勘違いした日本人女性2人組
1週間の休暇を頂いて、北部のハノイから入国した。私のお目当ては、北部山岳地帯にある少数民族の村を訪れることである。ベトナムは観光ツアー業が発展しているので、ホテルを予約したのは最初の1泊のみで、あとは現地で相乗りのバスツアーやメコン川下りツアーに参加したりした。バスで揺られること8時間、ようやく少数民族の村に到着した。そこには緑豊かな山々、美しい湖、田んぼの原風景があり、自然と遊んだ子供時代にタイムトリップしたような感覚になった。子供達も元気で、人懐っこい。ハノイで買ってきたキャンディーをあげると、村中の子供達が集まってきて、私は大人気者になってしまった。村には鮮やかな色柄の織物や手作りの細工品が青空バザールで販売されており、小学生ぐらいの少女達が売り子をしている。年下の女子に弱い私は、ついつい足が止まって、勧められるがままに1つ2つと買って、また別の店でも同じものを1つ2つと買ってしまった。購入したお土産はもうどこかにいってしまったが、彼女達と一緒に記念撮影した写真の方が私にとっては価値が高い。

南部のホーチミンへ移動し、一人旅にも飽きていた私は、街中で見かけた日本人女性2人組に声をかけた。私が「すみませ~ん」と言うと、私の顔も見ないで「いりませんから!」と言われた。どうやら物売りのベトナム人と間違えられたらしい。まあ確かに長髪で小物をじゃらじゃら付けて怪しい格好をしていたから、それはそれで致し方ない。ようやく誤解も解けて、一緒にシクロ(自転車タクシー)で観光させて頂くことになった。ベトナムの爽やかな風に吹かれて、美味しい生春巻きとフランスパンを堪能、食後はコンデンスミルクたっぷりのベトナムコーヒーを氷で割って飲むと、ベトナムの熱気が体中に充満してきた。

日本人がベトナムを旅行すると、郷愁の思いに駆られると言うが、まさにその通りだった。日本人が経済発展で置き忘れてきてしまったものを彼らは持っているように思う。あれから9年が過ぎ、ベトナムも急速な経済発展を遂げたと思うが、あの少数民族の村だけは発展から無縁であってほしい。子供達ももうだいぶ大きくなったと思うが、また会いに行きたいな~。いまの仕事がもう少し落ち着いたら・・。

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2009年08月07日 私の履歴書(6)そして香港へ
ロイターの150周年記念パーティで、営業チームの集合写真。
親会社の石油公団の巨額赤字問題で社内が大きく揺れていた頃、私の心は既に他の所へ飛んでいた。入社3年目の12月、私はシステム更新作業のため、アブダビ出張へ飛んだ。その帰途、香港で、ロイター通信の立花氏と出会うことになる。私はそのとき既に海外転職が視野に入っていた。香港かシンガポール、どちらかで就職のチャンスを得たいと思ってネットで検索していたときに、香港のネット掲示板で立花氏と知り合い、香港でロイター通信の面接を受けることを勧められた。普通はネットから直接求職などあり得ないが、ネット掲示板に私が記載していた海外就職に対する熱い想いが、立花氏の目に止まったとのことだった。

ちょうど年末年始の休暇と重なったこともあり、1週間香港に滞在して、3名の採用担当マネージャーと面接をして頂いた。英語の面接など初めてだったので、緊張して何を話したか全く覚えていないが、立花氏から採用担当マネージャー全員にFAXで礼状を送ることを勧められた。英語で礼状を書くのも初めてだったが、ここぞというときに私は文章力を発揮するらしい。私が書いた英語の礼状が女性の採用マネージャーの目に止まって、1ヶ月後には正式に採用が決まった。

3月末でジャパン石油開発を退社、4月からロイター・ジャパンの神谷町オフィスで1カ月の研修を受けた後、5月から香港へ着任した。入社初日、私が座るデスクの上には大量の書類、コンピュータは半分壊れかけていてマウスが動かない、これが世界的に有名な通信社のオフィスか!?と拍子抜けしたが、まずは書類の整理とコンピュータの修理を行なうところから私の仕事は始まった。一通り書類整理と入社手続きが終わり、上司の立花氏に「仕事は何をしたら良いでしょうか?」と尋ねたが、「うん、適当に自分で顧客に電話して、営業に行ってきて~。」という感じでそっけない。日系企業のようにきっちりとした研修トレーニングが組まれているのかと思ったが、甘かった・・。

外資系企業では自分で存在をアピールしない限り、誰も何も教えてくれない。他人に何かを教える義務もなく、一人一人がプロフェッショナルとして仕事をすることが求められる。そのことが分からず、1カ月近くも悶々とデスクで過ごす日々が続いた。そして私はある意味で白人アレルギーがあり、香港人の同僚とは英語で普通に会話することができたが、イギリス人の速い英語でまくしたてられると、Yes、Yes・・としか言えなくなるような典型的なYesマンだった。

試用期間の3カ月が終わる頃、私の本採用は絶望的に思えた・・。しかし、立花氏が機転を利かせてくれて、私に皆の前でロイター端末のデモンストレーションをする機会を与えてくれた。かなりしどろもどろになって何を話したかも覚えていないが、日本から単身やってきた25歳の若者を哀れに思ったのか、試験官達は皆、条件付きの合格サインを出してくれた。これでどうにか当面の危機は免れたが、ここからまた新たな苦難が始まった。私は前職でシステム担当だったので、人前で営業などやったことがない。アポイントを入れるために、顧客企業に電話しても、いま忙しいから、と言われて、全く取り合ってもらえなかった。いまならこのような失敗はしないが、営業のアポを入れるためにはコツがある。自社の商品を売ろうとするのではなく、まずは自分自身を売り込まないとダメだ。

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2009年08月03日 私の履歴書(5)新入社員時代
社員旅行でスキーへ行った時の写真。
私達の世代は、いわゆる団塊ジュニア&就職氷河期世代と呼ばれる。世代別の人口が一番多いにも関わらず、バブル経済崩壊の影響が深刻化した1995年に就職活動をしたため、一流企業への就職は高嶺の花だった。私も都市銀行もしくは総合商社へ就職希望だったが、いずれも狭き門で、都市銀行の最終面接で落とされて、途方に暮れた。しかし、いま思えば、日本の大企業の重役クラスはほとんどが国立か早慶出身者が占めており、いまでもそうした企業に厳然とした学閥がある以上、私の大学から入社したところで駒使いされるだけである。それなら、我が大学が誇るOBであるサザンオールスターズや槇原敬之さんのように自分らしい生き方をした方が良い。事実、私の同級生で、芸術・文化関連の仕事で海外で活躍している人達が沢山いる。

私には芸術の才能はないので、普通のサラリーマンになるしかなかったのだが、海外ビジネスに対する関心が強かったので、最終的に半官半民のジャパン石油開発に入社することを決めた。同社は、中東のアブダビに日本政府が権益を保有する原油鉱区を開発するためのプロジェクト会社である。

夏は葉山でクルージングを楽しむ。
私はシステム部所属だったが、現地パートナーであるアブダビ国営石油会社との良好な関係を保つことが会社の最重要業務の一つであるため、日本へ研修に訪れるアラブの王子様達をアテンドするため、必死に英語を勉強した。彼らはとても礼儀正しく、男同士の友情を大切にする国民性(普段、女子と会えないという事情もあるが・・)なので、英語が少し話せれば、すぐに仲良くなって打ち解けることができた。こうしてアラブと日本の若手同士の信頼関係を構築して、彼らが上級管理職になった頃に、我々をアブダビへ駐在派遣するのが会社の戦略だったと思うが、その前に3年で会社を辞めてしまって、いまは申し訳なかったと思っている。

以前にも「新入社員時代の思い出」というブログを書いたが、親方日の丸の会社なので、残業は基本なし、新築の独身寮の寮費が月1万円と、とても恵まれた環境の会社だった。社内のサークル活動も活発で、春・秋はテニスorハイキング旅行、夏は葉山でクルージング、冬はスキー旅行と、大学時代に憧れたサークル活動を社会人になってから楽しむことができた。仕事もパソコンや会計の知識を好きなだけ勉強させて頂き、お陰様で大学時代の放蕩生活をこの3年間で取り戻すことができたと思う。

しかし、1999年に親会社である石油公団の巨額赤字問題が国会で追及され、石油公団は独立行政法人化されてJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)と名称が変わり、石油公団が出資するプロジェクト会社は再編されて国際石油開発帝石株式会社となった。

私はそんな再編の最中で会社が揺れているときに辞めてしまった若手社員の一人であるが、いまでも当時の同期メンバーとたまに飲みに行ったりして、昔話に花を咲かせている。新入社員で入社した会社での仕事が、その人の人生に大きな影響を与えるというが、まさにその通りである。私の場合は新入社員の3年間で全く苦労知らずだったので、本当に仕事をしたと言えるかどうか怪しいが、大いに勉強させて頂き、大いに国際交流させて頂き、大いに青春を謳歌した。それがいまの私が持つバイタリティー=生命力につながっているのだと思う。人はどんなに仕事で辛いことがあっても、給料が減ったり失業したりしても、自分のアイデアを持ち続けている限り、簡単には死にません。だからいつも前を向いて歩き続けることが大切なのです!

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