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 日本上海イッタリキタリ 
 京都の博識中国で中国語学習アドバイザーをしている山岡義則が感じたことをつづります。 

2011年09月29日 先生ではなく『職人』なんだなぁ~
この9月末から一挙に中国語を「教える」機会が増えました。

株式会社シー・ティー・エス日米さんからの派遣で、企業に行って2時間「教え」たり、別の企業では中国への赴任前研修として一ヶ月の間に25時間~30時間集中して中国語を習得するそのお手伝いをしています。

企業で中国語を「教える」のは初めてではありません。

もう何年も前、友人の森川氏が運営するSC神戸中国語スクールの講師として大阪のある企業に行っていました。

それらの経験を踏まえて思うのですが、私は「中国語の講師」や「教師」ではなく、「中国語ができる人をつくる『職人』」です。

「教える」といいますが、多くの「中国語講師」と呼ばれる人がしていることは「テキストの説明」ではないでしょうか?

私もかつてはそうでした。

「テキストに沿って説明する」ことこそが「中国語を教えること」だと思っていました。

でも、今、目の前にいる人は、

●10年間も中国語を学びながら一向に流暢に中国語を話すことが出来ない方。
●ネイティブに7年間習ってきたけれど、発音に問題があり、また、文法事項の理解ができていないから日本人に中国語を習いたいという方。
●HSK6級を受験していて、普段はSkypeでネイティブスピーカーとフリートークの練習をしているが、文法的な説明、特に「どうしてそうなるのか」という事になると満足に教えてくれるネイティブはいないので日本人に聞きたいという方。

に加え、

●会社が外国語の習得を奨励しており、半年間学び、その後、中国検定4級を取得しようとしている方。
●1ヶ月後には中国の赴任する。自分で生活していくためにはどうしても中国語をマスターしなくてはならない。という方。

こういう方に中国語を効果的に、効率よく、しかも「出来る中国語」「使える中国語」を身につけていただくには、学校の英語授業のように、テキストに沿って進めていたのではかなり時間がかかります。

短期間で集中するには「中国語のエッセンス」を説明しなければなりませんし、それも「外国人がどうやって中国語を習得するか」より「日本語を母国語とした人がどうやったら短期間で『使える中国語』を習得するか」を説明し、実際にそれを証明しなければなりません。

こういう場に必要なのは「職人」であって「講師」や「教師」「先生」ではない。

そんなことを思う、今日この頃です。



2011年09月14日 正心誠意
野田総理の所信表明演説で使われた「正心誠意」。

このところご紹介している勝海舟の言葉だというのですが、手元にある以下では「誠心誠意」になっています。


(第31冊)


勝海舟はどちらの意味だったのはわかりませんが、使われ方は以下です。

外交の極意は、誠心誠意にあるのだ。胡麻化(ごまかし)などをやりかけると、かえって向こふから、こちらの弱点を見抜かれるものだョ

この前には次のようにあります。

外交の秘訣

 おれはこれまでずいぶん外交の難局に当つたが、しかし幸ひ一度も失敗はしなかつたヨ。外交に就いては一つの秘訣があるのだ。
 心は明鏡止水(めいきょうしすい)のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意(ごくい)だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかつた。かういふ風に応接して、かういふ風に切り抜けうなど、あらかじめ見込みを立てておくのが、世間の風だけれども、これが一番わるいヨ。おれなどは、何にも考へたり目論見(もくろみ)たりすることはせぬ。ただただいつさいの思慮を捨ててしまつて、妄想や雑念が、霊智を曇らすことのないようにしておくばかりだ。すなはちいはゆる明鏡止水のやうに、心を研ぎ澄ましておくばかりだ。かうしておくと、機に臨(のぞ)み、変に応じて事に処する方策の浮び出ること、あたかも影の形に従ひ、響の声に応ずるがごとくなるものだ。それだから、外交に臨んで、他人の意見を聞くなどは、ただただ迷ひの種になるばかりだ。甲の人の説を聞くと、それも暴(あら)いやうに思はれ、また乙の人の説を聞くと、それも暴いやうに思はれ、かういふ風になつて、遂には自分の定見がかくなつてしまふ。畢竟、自分の意見があればこそ、自分の腕を運用して力があるのに、人の智恵(ちえ)で働かうとすれば、喰ひ違ひの出来るのは当り前サ。

「明鏡止水」にして「正(誠)心誠意」

今の日本では忘れ去られているか、忘れ去られようとしている絶滅危惧言語なのかも知れません。

特に「明鏡止水」なんて、情報の多い今の世、知識の多いことがあたかも偉いことのように評価されるご時勢では、ともすればバカにされるかも知れませんが、命をかけて相手と対峙することを経験したら、そのときには知識なんて何の役にも立たないことを思い知るでしょう。

もっとも知識も大切です。
でも、もっと大切なのは知識から生まれ出る智恵であり、その智恵を超えるモノは「明鏡止水」から生まれ出る「霊智」なのだと思います。



2011年09月12日 国の為、世のため
勝海舟の一首。

国の為、世のため、死なむ身なりせば
生田の杜(もり)の神もたのまじ



宮本武蔵はその独行道で;

神仏を尊び神仏を頼まず

神仏を信じていなかったととる人もいますが、私は神仏に頼るという気持ちが出てしまうと甘えが出てしまう。
それを武蔵は戒め、海舟は己こそ頼みにするべきだと言っているように感じます。



2011年09月07日 お客さんのことを考えた結果
現代社会のこの世を生きていくにはお金はどうしても必要です。
お金を稼ぐため、みんな色んなことをするのですが、先ほど、NHK子供向けの番組:知っトク地図帳「商店街」で、興味深い内容を放映していました。

番組内容

今回は「商店街」の舞台裏。
多い日には6万人が訪れる、都内のある商店街。
ここには12年をかけて改良を重ねた地図があるという。
250もの店舗を、一目で分かりやすく収めた地図の“とっておきの工夫”とは?
午前7時から深夜0時まで、商店街の一日をチェック。
そして、ご当地サービス、商店街独自のクレジットカードとは?
水道橋博士が徹底取材! 地図記号は「建物」。
高さによる表記の違いを学ぶ。

地図が話題になっていますが、その内容は廃れていく商店街を活性化する方法でした。

「お客さんが離れていく。」

商売にしても企業にしても、お金は「お足」というようにお客さんが足で運んでくれるもの、お客さんに来ていただかなければ利益はあり得ない。

多くの人はこのことは頭ではわかっているのでしょうが、実際には目の前の利益に翻弄され、「木を見て森を見ず」となり、一番大切なお客さんのことを考えることを忘れるようです。

「(すべては)お客さんのことを考えた結果」

お金を儲けたいのなら、お客さんに好かれなければならないし、お客さんに来ていただかなくてはならない、だからお金を儲けたいのならお客さんのことを考えればいい。

とてもシンプルなのですが、欲望や煩悩にとりつかれた人はそのことは見えなくなるようです。




2011年08月29日 上に上がある
△今日は、『道』とする所を伺いたいものです。

 主義だの、道だのといって、ただこればかりだと、極(き)めることは、私は極く嫌いです。道といっても大道もあり、小道もあり、上に上があります。その一つを取って、他を排斥するということは、不断から決してしません。人が来て、色々八釜(やかま)しく言いますと、『そういうこともあろうかナ』と言って置いて、争わない。そしてあとでよくよく考えて、色々に比較して見ると、上に上があると思って、真に愉快です。研究というものは、死んで初めて止むもので、それまでは、苦学です。一日でも止めるということはありません。



武道の世界は、身体をはるのでわかりやすい。
己の方法が間違っていると即、命を落とすから。
でも、その武道の世界でさえ、命のやり取りがなくなった今、10年やそこらやっただけで、自分が強い、偉いと天狗になる人ばかり。
上に上があることを知らぬ人ばかり。

これまでの長い経験では、たいてい、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです。

李鴻章についての勝海舟の評価ですが、昔の中国人は大きかったようです。
そして私は上に上があることを知り、『そういうこともあろうかナ』といいつつ、一日も止むことなく死ぬまで研究していきたいと思う、今日この頃です。



2011年08月23日 自分が楽しんでいるだけ
もうかなり前の事。
父と一緒にラジオを聞いていたのですが、その時、ある関西の夫婦漫才師が漫才を演じていました。

漫才には色々あるのですが、この夫婦漫才師は、夫は男前、妻は不細工ということでいつも夫が妻をいじめるような漫才をしていたのですが、この日は夫が自慢ののどを披露している漫才でした。

それを聞いた父は;

「自分が楽しんでいるだけじゃ」

と岡山弁で言っていましたが、確かにこの時の漫才は、夫婦別れもしていて、これと言った芸もないので、ただ歌ってごまかしていたように思います。

さて、そして今。
小さな中国語スクールで受付などをしているのですが、ネイティブがレッスンしている様子を聞いていると、あの時の場面がよみがえってくるのです。

人にものを教える。というのは優越感を感じるものです。
相手より自分の方がたくさん知っている⇒偉い!

多く知っていることは何も偉くはない。
知識ではなく知恵を働かせることこそが人間の叡智だと思うのですが、人はなかなかそんなレベルには至らない。

特に若い時には、あるいは他の世界を知らない時には、井の中の蛙となり「自分が楽しんでいるだけ」に陥りやすい。

いやいやこれは私自身が気をつけなければならないこと。

切っても切っても生えてくる爪のごとく、傲慢さや欲望はちょっと気を緩めるとすぐに頭をもたげてくるもの。

子供に教えられる。

教えるなんてとんでもない、常に学ばさせてもらっている。

そう思うことが大切。そう思う今日この頃です。



2011年08月18日 口ばかしは上手
お前の所に、子供があるかエ。そして、学校へやるだろう。その子供がどうだエ、文明の学問だと言って、本ばかり読んで、高尚の事を聴きかじって、口ばかしは上手だろう。そして、お前の言う事を聞くかエ。エ、ソレ御覧な。少しも聞きはすまい。そして、おやじは頑固で困るなどと言ってるよ。その子が、ソウ文明だ文明だというてしゃべっているうちに、倉には蜘蛛の巣が一ぱいになって、遠からず家を倒してしまうよ。ソレを大きくして考えて御覧な、国民がそうなのだ。西洋の理窟ばかし聞きかじって、それで皆な貧乏をするのサ。西洋の方では何と言うエ。あんまり誉めもすまい。お猿だと言うじゃアないか。
新訂 海舟座談 (岩波文庫)

明治維新後30年の世と、今の中国は似ているのかも知れない。
また、今の日本も小理屈ばかし聞く人間が多くなっているのかも知れない。
所詮、人の頭で考えることなんて高が知れているのに、小ざかしい知恵、いえ、本当は知恵ではなく単なる知識に過ぎないのにそれに気づかずおごり高ぶる。
これじゃあ自然と共に生きている猿の方がよほどまし。

理窟も大切。
でも、それに振り回されちゃあだめですね。
知識はあった方がもちろんいいけれど、それを活かすことができなければ宝の持ち腐れ。

瞑想をして心を鍛えるべきなのでしょう。



2011年08月14日 国家というものが善くなればいい


何でも、己(おれ)がなそうなそうというのが、善くない。誰がしてもいい。国家というものが善くなればいい。第一、その目途(めあて)が違うのだもの。
(清語のしらべ 31.11.30)

これまで多くの会社、それも中小企業にいたけれど、社長はすべてワンマン。

そりゃあ会社を引っ張っていくには自信を持ち、ぐいぐいと会社を引っ張っていかなくちゃならないでしょうが、目途(めあて)が違うとどうもよくない。

異性を追っかける。
欲しい欲しいと思うと逃げられる。
いっそのこと「どうでもいいや」「なるようになるさ」と肩の力を抜くとうまくいくもの。

これまでの成功体験が邪魔をする。

でもね、自分の身に降りかかってくる状況はちゃーんとあなたに「あなたのやり方が間違ってるよ~」って教えてくれている。
それもかなり具体的に「あなたのこの部分が間違っている」と教えてくれている。
でも、そのことに気付く人は少ないようです。

至誠奉公。

そんな気持ちはもう忘れ去られたようです。
会社も、そして政治も。




2011年08月05日 さすがにChinaは大国
 Chinaは、流石に大国だ。その国民に一種気長く大きなところがあるのは、なかなか短気な日本人などは及ばないヨ。たとへば、今回丁汝昌が、死に処して従容(しょうよう)迫らなかつたことなどは、実にChina人の美風だ。
 この美風は、万事の上に顕はれて居る。今回の如き、北洋艦体は全滅せられ、旅順口や、威海衛などの要害の地は、悉(ことごと)く日本人の手に落ちても、彼(か)の国民は一向平気で、少しも驚かない。人はその無神経なのを笑ふけれども、大国民の気風は、かへつてこの中に認められるのだ。
 丁汝昌も、いつかおれにいつたことがあつた。わが国は、貴国に較べると、万事につけて進歩は鈍いけれど、その代わり一度動き始めると、決して退歩はしないといつたが、Chinaの恐るべきところは、実にこの辺にあるのだ。今回の戦争は万般のこと都合好く運び、もはや我国の勝利疑ひないが、かれこれの長所短所を考へ合はして見ると、おれは将来のことを案じるヨ。
(文中、今では蔑称とされている言葉はChinaにした。)
氷川清話 (講談社学術文庫)より)

この発言は明治二十八年(1895年)。
勝海舟の心配はあたっているようです。



2011年08月02日 きせん院の戒め
 昔本所に、きせん院といふ一個の行者があって、その頃流行した富籤(とみくじ)の祈祷がよくあたるといふので、非常な評判であつたが、おれの老父が、それと親しかつたものだから、おれもたびたび行ったことがある。ところが越前守が出て来て、やかましく富などの取締をせられてからは、忽ち流行らなくなつた。

 それから段々とおちぶれて、後には汚い長屋に住んで居たが、誰も末路といふものは、憐れなもので気の毒だから、時々野菜などを持つて行つてやつた。

 この行者も、もとはなかなかのもので、肉食妻帯はおろか、間男なんか平気なもんで、一種太いところを持つて居たが、かう落魄(らくはく)してからは、身体も気分も段々と弱り込んで来た。

 或る日のこと、おれは例のごとく何か持つて見舞ひに行つたが、彼はおれに向ひ、「貴下はまだ若いが、なかなか根気が強くつて末頼母(たのも)しい方だによつて、私が一言お話をしておきますから、是非覚えて居て下さい。必ず思ひ当ることがあります。一体、私の祈祷が当らなくなつたに就いては、二つの理由があります。一つの理由は、或る日一人の婦人が、富の祈祷を頼みにやつて来ました。ところがそれが素敵な美人であつたから、覚えず煩悩に駆られて、それを口説き落し、それから祈祷をしてやりました。ところが四、五日すると、その祈祷に効験があつて、当籤をしたといつて礼に来ましたから、またまた口説き掛けると、彼(か)の美人は恐ろしい眼で睨みつけ、“亭主のある身で不義な事をしたのも、亭主に富籤を取らせたい切な心があつたばかりだ。それに又候(まだぞろ)不義を仕掛けるなどとは、不届千万(ふとどきせんばん)な坊主めが”と叱つた。その眼玉と叱声とがしみじみ身にこたへた。それから今一つは、難行苦行をする身であるから、常に何か生分(せいぶん)のある物を喰つて、滋養を取つて居ましたが、或る日の事、両国で大きなすつぽんを買つて来た。ところが誰も怖がつて料理をする者がないから、私が自分で料理をせうとすると、彼(か)のすつぽんめが首を持ち上げて、大きな眼玉をして私を睨んだ。私はなーにと言ひつつ、首を打ち落して料理して喰つて見たが、しかし何となく気にかかつた。この二つの事が、始終私の気にかかつて居て、祈祷もいつとなく次第に当たらなくなつたのです。それといつて、何もこの二つがたたるといふわけでもあるまいが、つまり自分の心に咎(とが)めるところがあれば、いつとなく気が餒(う)ゑて来る。すると鬼神と共に動くところの至誠が乏(とぼ)しくなつて来るのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ」と言つて聞かせた。

 この話を聞いて、おれも豁然(かつぜん)として悟るところがあり、爾来(じらい)今日に至るまで、常にこの心得を失はなかつた。全体おれがこの歳をして居りながら、身心共にまだ壮健であるといふのも、畢竟自分の経験に顧みて、いささかたりとも人間の筋道を踏み違へた覚えがなく、胸中に始終この強味があるからだ。この一個の行者こそ、おれが一生の御師匠様だ。



何事も「心」なのでしょうね。
中国人とのかかわりの多かった私としては、大いに悟るところのある話です。





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プロフィール


yammyこと山岡義則。
1985年から中国関連業務に従事。
さまざまな業界を経験。

アシスト上海運営。

博識中国で中国語学習アドバイザー担当。

山岡への連絡は
yammy@mti.biglobe.ne.jp
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