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 日本上海イッタリキタリ 
 中国ビジネスアドバイザーが好き勝手なことを書いてます 

プロフィール


yammyこと山岡義則。
1985年から中国関連業務に従事。
さまざまな業界を経験。

アシスト上海運営。

上海メイリングリスト復活。

山岡への連絡は
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2010年02月06日 怒らないこと
この数日間で、私の人生でかなり大きな変化がありました。
それは、『私は、もう絶対怒らない。』と決めたのです。

事の発端は、職業訓練です。

3分間スピーチで、私のこれまでの人生を振り返って、自分は短気だったと反省した(よう?)なのですが、それを講師が心にとめてくれて、何度も「山岡さんは短気だから」と言っていただいたこと。

さらに、年上のクラスメートに相談すると、そのクラスメートも私が短気だということを見抜いていたこと。

そんなことがあって、本屋さんで見かけたのがこの本です。



今はできるだけ節約しようと思っているので、一瞬迷ったのですが、結局購入しました。
すると、今の私の状況が、これまでの人生の積み重ねで、それも、間違った生き方をしていたからこうなったということがはっきりとわかりました。

何が間違っていたのか。

それは一言でいえば、私はこれまでずっと怒っていたから。なのです。

でも、私を知っている人は、「確かに山岡は短気だけれど、普段はそれを抑えていて、笑顔が多い。」そう思ってくれる人が多いと思いますし、自分でもそう思っていましたが、この「普段、それを抑えている」ということが大きな問題だったと気づくことができたのです。

この本の中で、「人は喜んでいるか、そうでないか」の二つに一つだといいます。

つまり、「喜んでいない時には怒っている」と。

私は、子どもの頃から、親に厳しく怒られることが多かった(と自分ではそう思っていた)。
そして、その状況から逃げるために「どうやったら楽に死ぬことができるだろう」と考えていました。

それが、武術と出会い、自分の心に打ち克つという教えで救われ、『自分に厳しく、他人にやさしく』をモットーに生きてきました。

でも、その人生は、改めて振り返ると「喜んでいること」より「そうでないこと」の方が多いのです。

これまではそれでいいと思っていました。
でも、この本では、「喜んでいないのはつまり怒っていること」だと書いてあります。

これとは別に、この十年間、仕事について順調とは言えない状況で、そのおかげもあり、斎藤一人さんや小林正観さんの本などで学んでいたのですが、その中では「今、幸せだと思うことができれば幸せになれる」ということがあり、そうなればどんどん幸せを呼びこんでいく。ともあるのですが、私はずっと怒っていた。だから幸せになるはずがなかったのです。

この本で紹介されているお釈迦様は、

「たとえば、今、泥棒があなたの家に来て、あなたをノコギリでバラバラにする。と言ったとしても怒ってはいけない。」

と言ったといいます。
それぐらい、怒りは自分の心を壊し、身体を壊し、自分を不幸にするものだといいます。

確かにその通りだと思いました。
私の今は、これまでの私の生き方が間違っていたから。
その間違いとは「喜んでいなかった」から。

「怒り」を抑えるのではなく、ただ「怒らない」こと。
「何があっても怒らない」と決めること。
そしてそれを実践すること。

私は今年、50歳。
50年もたって初めて私に与えられた課題に気がついた。
そう思う今日この頃です。



■コメント

近衛 鑑さん、叱ることとは演技?
投稿者:山岡 2010年02月07日 投稿番号:25755

怒ることと叱ること。

これもずっと大きな命題でした。
会社でも、そして、家庭でも、怒ることとは何か?そして叱ることとは何か?
怒ることと叱ることとの違いは何か?

感情的になるかどうかがポイントではないかと思っていたのですが、近衛 鑑さんのおっしゃる、「怒った風を装っていた」というのは一つの答えなのでしょうね。

「怒る」という感情に振り回されていない。ということでしょうか。

引き続き、考えてまいります。

コメント、ありがとうございました。

大木もとさん、そういうことがあるのですね。
投稿者:山岡 2010年02月07日 投稿番号:25754

実際に、怒らない。ということを若いころから課しておられる方からのコメントで、今、深く考えています。

緊急の場合については、小さい頃、弟が呼吸困難になり、病院に行った時、弟の顔色がみるみる変わっていくのに、病院側の応対は事務的で、すぐに対応しようとしなかったので、父が「怒って」やっと弟を診てくれ、そのおかげで一命をとりとめたということがありました。

こういう時には「怒ること」が必要なのでしょうか?

これから、大木もとさんに教えていただいたことをずっと考えていきたいと思います。

ありがとうございました。

怒らないことと叱ること
投稿者:近衛 鑑 2010年02月07日 投稿番号:25744

大木さんのコメント なるほどと大いに感じることがございました。ただ私は、人様にお教えする仕事を30年以上続けておりましたので、本当に怒るのではなく その人のために叱ることはございました。その時に注意をより効果的にするために怒っているように見せかけておりました。繰り返しますがそれは、あくまでその人のために怒った風を装っていたのであって本当には怒ってはいないのです。中には、私の心情を見抜いていた人もいたかもしれませんが・・・!

怒ること
投稿者:大木もと 2010年02月07日 投稿番号:25742

確かに、怒らないことって重要ですね。私自身も、若い頃に怒らないことを自分に課してから、ずいぶんと穏やかな毎日を過ごせるようになったと思います。
しかし、そのうちに、怒らない自分ではなく、怒れなくなった自分にも気づくようになりました。
短気を起こすことによって失うものの大きさを知るようになったため、怒れなくなったのです。
結果として、
1)怒って人を動かすということができなくなった。
2)率直な物言いができなくなった。
3)相手のことを思って怒るということもできにくくなった。
といったことが起こるようになりました。
怒って人を動かすというのは、普段はいけないことだけれども、緊急の場合は物事の重要性を知らせるために必要です。また、怒ることをせずに相手を動かすということは、いろいろと頭を使うことですから、良い面もありますが、率直でない人とみなされることも少なくありません。さらに、常に怒ってはいけないということが頭にあるため、相手のことを思って怒るといった必要な怒りも失われてしまいがちになりました。
 だから、絶対に怒らないというのはどうなのかな?とも思います。短気な人が自分の性格改善のために戒める程度なら良いのかもしれませんが。


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